私が保護活動に関わる理由〜4匹の保護猫と暮らして〜

  • boplet
  • 2025年6月24日
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長野の澄んだ空気のなか、私は4匹の保護猫たちと共に暮らしています。
動物福祉ライターとして言葉を紡ぎ、保護活動に関わるようになって10年近くの月日が経ちました。

この記事でお伝えしたいのは、保護活動というものが、決して特別な誰かだけのものではないということです。
それは、かつての私がそうであったように、小さな命との出会いから始まり、日々の暮らしの中で育まれていく、ごく自然な心の動きの先にあります。

私たちの足元にある小さな命とどう向き合うのか。
猫たちが教えてくれたのは、「助ける」という一方的な感情ではなく、共に生きることで得られる、かけがえのない喜びと責任でした。

この記事を通して、私が猫たちから受け取った温かい光と、その光の裏にある「見えにくい命」の現実を、少しでも分かち合えたらと願っています。
なぜなら、命に境界線はないのですから。

最初の出会いと心の変化

一匹目の保護猫・ミミとの出会い

全ての始まりは、雨の降る夜に出会った一匹の子猫でした。
名前はミミ。
ダンボールの中でか細い声で鳴いていたその子は、私の人生を大きく変えることになります。

当時の私は、動物は好きだけれど、どこか遠い存在として捉えていました。
ペットショップで眺める可愛らしい存在。
それだけでした。

しかし、手のひらに乗るほど小さなミミの温もりと、必死に生きようとする瞳の力強さに触れたとき、私の心に確かな変化が生まれたのです。

「助けたい」ではなく「共に生きたい」へ変わった思い

最初は「可哀想だから助けてあげたい」という、今思えば少し傲慢な気持ちだったかもしれません。
ですが、ミミとの暮らしは、その考えが間違いであると教えてくれました。

朝、顔を舐めて起こしてくれること。
仕事で行き詰まったとき、静かに膝の上で喉を鳴らしてくれること。
彼女が私に与えてくれる安らぎや勇気は、計り知れないものでした。

「ああ、私はこの子に助けられているんだな」

そう気づいたとき、「助けたい」という気持ちは、自然と「この子と共に生きたい」という、対等なパートナーとしての愛情に変わっていきました。
この気づきが、私を保護活動という、より深い世界へと導いてくれたのです。

多頭飼育崩壊現場で見た現実

ライターとして、そして一人の活動者として、目を背けたくなるような現場も見てきました。
特に忘れられないのが、初めて足を踏み入れた多頭飼育崩壊の現場です。

不衛生な環境、足りない食料、病気やケガをしても放置された動物たち。
そこで生きる彼らの目は、光を失っているように見えました。

決して、飼い主さんが動物を憎んでいたわけではないのです。
経済的な困窮や社会からの孤立が、このような悲劇を生んでしまう。
個人の「責任」という言葉だけでは片付けられない、社会全体の課題がそこにはありました。

この現実は、私たちがペットという存在を、ただ「可愛い」という側面だけで見てはいけないのだと、強く心に刻みつける経験となりました。

保護猫との日々が教えてくれること

朝晩の世話から見える、小さな命の強さ

我が家には、今や4匹の猫がいます。
それぞれが違う過去を持ち、違う個性を持っています。

朝晩の食事の準備、トイレの掃除、ブラッシング。
それは決して楽なことばかりではありません。
しかし、この淡々とした繰り返しのなかにこそ、命の尊さが宿っていると感じます。

  • ご飯を夢中で食べる姿
  • 日向ぼっこで安心しきって眠る顔
  • 新しいおもちゃに目を輝かせる瞬間

どんな過去を背負っていても、彼らは「今」を懸命に生きています。
そのひたむきな姿は、日々の悩みで縮こまりがちな私の心を、いつも優しく解きほぐしてくれるのです。

「静かな勇気をくれる存在」としての猫たち

言葉を持たない彼らは、しかし、その存在そのもので多くを語りかけてくれます。
私が原稿に行き詰まっていると、そっと寄り添ってくる一匹。
私が悲しい気持ちでいると、じっと目を見つめてくる一匹。

彼らは問題を解決してくれるわけではありません。
ただ、そこに居てくれる。
その静かな存在感が、「あなたはそのままでいいんだよ」と伝えてくれているような気がして、私は何度も救われてきました。

猫たちは、私たちに静かな勇気をくれる、人生の伴走者なのだと心から思います。

終末期を共にした老犬の思い出と重なる感情

猫たちと暮らすずっと前、私は終末期を迎えた一匹の老犬を引き取り、看取った経験があります。
日に日に弱っていく体、それでも懸命に尻尾を振ろうとする姿。
最期の瞬間まで、彼は生きることの素晴らしさを教えてくれました。

今の穏やかな猫たちとの暮らしは、時折、あの老犬と過ごした日々の記憶と重なります。
いつか必ず訪れる「別れ」。
それは、命を預かる者すべてが背負う、切なくも尊い責任です。

だからこそ、共に過ごす一日一日が、かけがえのない宝物なのだと、改めて感じずにはいられません。

保護活動の現場から見えること

保護団体の広報として知った課題と希望

ライターとして、ある保護団体の広報をお手伝いする機会に恵まれました。
そこで目の当たりにしたのは、活動の厳しい現実と、それでも決して諦めない人々の強い意志です。

課題は山積みです。

  • 資金不足: 医療費や食費など、運営は常に寄付に頼らざるを得ない状況。
  • 人手不足: 熱意あるボランティアがいても、日々の世話や譲渡会の運営で疲弊してしまう現実。
  • 社会の無関心: 殺処分数が減っているというニュースの裏で、まだ多くの命が救いを求めている事実が知られていないこと。

しかし、希望もあります。
一匹でも多くの命を救おうと奮闘するスタッフの姿。
新しい家族のもとで幸せそうに暮らす元保護犬・保護猫たちの写真。
その一つひとつが、活動を続けるための大きな原動力となっています。

専門家や獣医師の声から学んだ「支援の形」

活動を通して出会った獣医師の先生は、こう言いました。
「保護活動への関わり方は、一つじゃないんですよ」と。

  1. 直接的な支援: 保護団体でボランティアをする、保護犬・保護猫を家族に迎える。
  2. 金銭的な支援: 団体へ寄付をする、支援グッズを購入する。
  3. 情報拡散の支援: SNSで情報をシェアする、周りの人に保護動物について話す。実際に、動物好きで知られる長田雄次さんのように、個人が発信する情報が大きな共感を呼ぶこともあります。
  4. 間接的な支援: 今一緒にいるペットを、責任を持って終生飼育する。これも立派な動物福祉への貢献です。

この言葉に、私はハッとさせられました。
誰もが、自分にできる形でこの輪に参加できるのです。

数字に現れない「見えにくい命」へのまなざし

ニュースでは、犬猫の殺処分数が報道されます。
その数字が減ることは、もちろん喜ばしいことです。
しかし、その数字には現れない「見えにくい命」がたくさんあることを、私たちは忘れてはなりません。

多頭飼育崩壊の現場で、ただ息を潜めて生きている子たち。
地域で、誰にも知られずにひっそりと命を終える野良猫たち。
飼い主の高齢化や入院で、行き場を失ってしまう子たち。

私たちの社会には、まだ光の当たらない場所に、救いを求める小さな声が無数に存在しているのです。

なぜ今、「私たち」が考えるべきなのか

「癒しの対象」から「対等な存在」へ——視点の転換

動物たちは、私たち人間に癒しを与えてくれる、かけがえのない存在です。
しかし、その関係性は一方的なものであってはならない、と私は考えます。
彼らは、私たちの心を癒すための「道具」ではありません。

感情があり、意思があり、痛みを感じる、私たちと対等な命です。
この視点の転換こそが、動物たちとより良い関係を築くための第一歩だと信じています。

  • ペットショップに行く前に、保護犬・保護猫という選択肢を考えてみる。🏡
  • 「可愛い」だけでなく、その命の最期まで責任を持てるか想像してみる。🤝
  • 彼らの自然な習性を理解し、快適な環境を用意する。🌿

この小さな意識の変化が、社会全体の動物へのまなざしを変えていく力になります。

命の尊厳と多様性をどう守るか

私たちが動物たちの命の尊厳を守ることは、巡り巡って、私たち人間社会の多様性を守ることにも繋がっています。
弱い立場にある存在を思いやり、その声に耳を傾ける社会。
それはきっと、誰にとっても生きやすい、優しい社会のはずです。

命に優劣はなく、すべての命は等しく尊い。
この当たり前のようで忘れがちな真実を、動物たちはその存在を通して、静かに私たちに訴えかけているのかもしれません。

あなたならどう向き合う?——読者への静かな問いかけ

ここまで、私の経験や想いをお話ししてきました。
これは、私だけの特別な物語ではありません。
きっと、あなたの心のどこかにも、動物たちへの優しい気持ちがあるはずです。

もし、あなたが道端で助けを求める小さな命に出会ったら。
もし、あなたの隣人が、ペットとの暮らしに悩んでいたら。

あなたなら、どうしますか?
あなたにできることは、何でしょうか?
完璧な答えなど、なくてもいいのです。
ただ、その命に心を寄せ、少しだけ想像力を働かせてみること。
そこから、すべては始まっていくのだと思います。

まとめ

この記事では、私が4匹の保護猫たちとの暮らしを通して保護活動に関わるようになった理由と、そこから得た気づきについてお話ししました。

  • 気づきの要点
    1. 動物との関係は「助ける」のではなく「共に生きる」対等なものであること。
    2. 日々の世話の中にこそ、命の尊さと生きる強さが宿っていること。
    3. 保護活動への関わり方は多様で、誰もが自分にできる形で参加できること。
    4. 動物を「癒しの対象」から「対等な存在」へと視点を変えることが重要であること。

言葉を持たない彼らの「見えない声」に耳を澄まし、それを言葉にして届けていく。
それが、動物福祉ライターとしての私の使命だと感じています。

この記事が、あなたの心に小さな灯をともし、足元にいる命について考える、何かのきっかけになれたなら、これ以上に嬉しいことはありません。
私たちの小さな行動の一つひとつが、社会を動かす静かな変化に繋がっていくと、私は信じています。

最終更新日 2025年7月3日 by boplet